元大酒飲み町田康が『しらふで生きる』

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かつてパンクバンド「INU」でミュージシャンとして活躍し、その後小説家に転向。2000年には「きれぎれ」で芥川賞を受賞した作家、町田康(まちだこう)氏が自身の断酒記録を綴ったエッセイ。

かつて大酒飲みで30年間毎日飲酒をしていた町田氏がどうやって断酒を4年以上継続させたのか。その心情と過程を赤裸々に語るこの本はこれから禁酒、断酒を始めたいと思う方、また現在禁酒、断酒を続けている方必読の本です。

名うての小説家である町田氏特有の軽妙洒脱な文体は普通の読み物としても楽しく読める一冊となっています。楽しく読んでついでに「断酒脳」も強化しましょう。

目次

飲酒は人生の負債

飲酒は人生の負債

お酒を寵愛した偉人、大伴旅人(おおとものたびと)を引き合いに出し、飲めなくなる理由を潰すために健康診断を避けては飲酒を続けてきた町田氏。

大酒飲み(アルコール依存症者)は常に現実から逃避して、お酒の酩酊感を求めて止みません。そんな町田氏ですが、ある日唐突に飲酒をやめてしまいます。健康上の理由でも経済的理由でもなく刹那的に突如お酒を断ち、一年半が経過したところから、本書は始まります。

町田氏はなぜ自分はお酒を飲まなくなったのかを考察します。強い飲酒欲求がありながらもお酒を飲まない自身を「気の触れた人間」と捉え話は続いていきます。

自身の飲酒に疑問を持っている方は既知の事実ですが、大酒飲みはお酒を飲んでるとき以外は楽しくありません。楽しさ、快楽を求めて飲酒を続けるうち、お酒のない時間が忍耐の時間になり、その苦痛から逃れるためにことさらお酒を煽るのです。

こうした積み重ねは何も生まないばかりか、自身の人生に「負債」となってのしかかります。一時の酩酊感がもたらす代償は大きく、飲酒ほど割の合わない娯楽はなかなかありません。

プラスマイナスの計算をしてみよう。

禁酒、断酒を行う人間の思考はやはり作家でも同じようなもので、本書の中でもメリット・デメリットの計算があります。

お酒の楽しみの本質、それは「酔い」以外ありません。ワイン愛好家やウイスキー、日本酒好きから「私は高貴な味を楽しんでいる」と反駁されそうですが、それはあくまで「少量飲酒」の話。酒が進み酔っ払えば100%味覚は鈍くなります。

酒飲みは二日酔いの苦しみを除くため、当然再度お酒を飲みます。そうすると感覚がアルコールで鈍くなり、楽になって更に飲酒が進むのです。

つまり

  • 「+5」の快楽を得るために飲酒した場合、翌日は二日酔いによる「−5」の不快。
  • その「−5」の不快を精算するため「+5」の飲酒、これで「+−0」。
  • さらにここから「+5」の快楽を得るために飲酒すれば合計「10」の飲酒となり、翌朝の不快は「−10」

その不快を除くため‥と、めでたくマッチポンプの出来上がり。町田氏が飲酒というのは人生の負債と語る所以です。

飲酒欲求を鎮めるために必要な「認識改造」。禁酒、断酒ロジックを「領域展開」せよ!

認識改造の領域展開

禁酒、断酒の継続方法は様々。禁酒のための互助会に入る。医療機関で嫌酒薬を処方してもらう。周囲に禁酒を宣言するなどを町田氏はあげますが、どれも即座に却下

彼特有の「領域展開」ロジックでこれらが自身には全くあっていない理由が面白おかしく説明されます。その詳細は本書を読んで頂きたいのですが、町田氏が飲酒欲求の鎮め方として、「領域展開」したのが「認識改造」です。

「認識改造」はその名と通り自分の認識を測ることで己の現在地を把握し改めること。自身に起こる身近な出来事にどう反応したかで、測ることができるそうですよ。

例として人は運転中、渋滞にハマると苛つきます。その後渋滞から抜けると大抵の人は普段よりスピードを上げる、不当に渋滞に巻き込まれたという勝手な思い込みで損した分を取り返そうと。しかし、車を運転する人はみな等しく渋滞に遭います。特別な地位にある人(例えばヘリコプターで移動する人など)を除いて。

つまり自分は渋滞を免れることができる特別な人間ではないので、その怒りは分不相応であり渋滞に遭うべくして遭っていると自身の立場を再認識して渋滞で怒る自身の感情が自意識過剰であると理解するべきということ。他の人も渋滞に遭っているので客観的に見れば不当な怒りですが、誰も自身を客観的に見るのは難しいため自分のほうがおかしいとはなかなか気づけません。

飲酒もそれと同じで、

自分は当然幸福になる権利がある→しかし思うように幸福が訪れず不満である→手早く幸福感を得るためにお酒を飲む。

しかし、幸福の尺度はどこまでも主観的なため、万人に通じる答えはありません。自身の中にしか答えのないものを外界に求めて、叶わないからお酒を煽るのは不毛だということです。

客観的に見れば幸福とは不幸と対をなす相対的価値観なので、自分が不幸になるのは不当であると言う価値観もまた主観的思い込みに過ぎないのです。

幸福も不幸も自分で作り出しているためお酒という薬物で根本的に解決することはできずに現状に苦しみ、自己憐憫からまた飲酒に走る負のスパイラルが形成されます。そうした現状を捉え、「認識改造」をすることから、主観的不幸観から離れ、相対的幸福を得るヒントをつかめます。

禁酒、断酒によって得られる相対的幸福論、「自分は普通」

普通の人

お酒を求める心情はシンプルで、「楽しみたい」というのが大抵の人の答えではないでしょうか。

しかしその心情こそが一番厄介で先の渋滞の例でもあるように、誰しも主観的な損得勘定で自身の幸、不幸を判断してしまいます。

そこには自分は幸福になる「権利」があり不幸にはなってはならないという「思い込み」があるためで、それが不要な苛立ちや焦燥をもたらしてしまいます。

それらは自身の評価を常に高く見積もり、正当に評価されていないという勝手な自意識にほかなりません。「こうあるべき」という自意識と現実のギャップに憤りを覚え、その感情を解消(実際は忘却)するためにお酒を飲んでしまうと町田氏は説きます。

感覚的に捉えた場合大抵の人は、幸福を感じる時間は短く、対して不幸と思える時間は長く感じてしいますので、この人生観だと人生は不幸ベースとなります。それこそが、自意識が生み出す「作られた不幸」で、人生は思い通りにならないのが当たり前、それが「普通」の状態と納得を持って生きれば、不幸は不幸でなくなります。

翻って自分にとっての幸福な時間が不意に訪れたとき相対的に幸福感が高くなります。意図的にお酒による「楽しみたい」という幸福感を求めてしまうと、お酒を飲んでいるときだけが(まがい物の)幸福で、飲んでいない時間が不幸になってしまうわけです。

故に町田氏は自分や未来に過剰な期待せず「自分はアホだ」と一度自分を下げることで外界が思い通りにならない苛立ちを抑え、幸福を渇望する不幸ベースな生き方を避けられるといいます。

「これが普通」という考えは、目先や未来の観念的な幸福や不幸にとらわれず「今」に意識をフォーカスさせることで、主観的不幸を除き、相対的幸福をもたらすと説いています。

つまり過剰な自意識による不平不満をなくせば、お酒という薬物は本来不要で、幸福感を得られやすい体質なるわけですが、皆さんはどう思いますか?

「無知の知」という言葉があるように、「自分はアホだ」という謙虚さは学びの喜びをもたらします。

逆に過剰な自己評価は、プライドを肥大させ上手く行かない現実の虚無感をごまかすためにお酒に走ってしまう。それを自覚して改めるマインドセット、これが町田氏の言う「認識改造」のメリットとなります。

「無知の知」は必要。しかし卑屈になる必要はない。

無知の知

やはり禁酒、断酒をすすめる上で一番大事なことは、とどのつまり「自分と他者を比較しない事」に尽きるのではないでしょうか。

そしてその意識というものは常に移ろいゆくものなので、「これでいい」というゴールはありません。真の意味で我欲や承認欲求を捨てることができるのは、悟りを開いた解脱者ぐらいだからです。

ですので、自身の心情を常に点検して、人様の意見を虚心坦懐に傾聴する心構えを意識し、自身の精神をアップデートし続ける必要があります。そして禁酒、断酒は誰のためでもなく自分のためにしているという基本姿勢を忘れないようにしなくてはなりません。

「自分と他者を比較しない事」とは言うものの人間は社会的動物で人と関わらないと生活できません。意識的、無意識的にどうしても比較をしてしまうもの。

だからこそ「自分はアホだ」「認識改造」をすることが大事。そうすれば他者を卑下して自惚れに陥らず、学ぶ姿勢がベースとなり、自身の不明や未熟さを恥じ入ることは無くなるのではないでしょうか。

自分自身と向き合う為にはその分、まわりの雑音は出来るだけ取り除く方がいいです。それが「自身と他者を比較しない事」の近道です。世の中はネットやマスメディアなど、自身の存在価値を毀損させようとするものが多くあります。

TVや新聞では連日、ネガティブで扇動的ニュースで負の感情を煽り、SNSでは他人の承認欲求充足の為のリア充自慢や誹謗中傷など不平不満を刺激する情報で溢れています。そういうものにいちいち反応していると焦燥感や虚無感に浸りそれを紛らわすため飲酒が止められなくなっていくという特性が人間にはあるようです。

ある程度心身が整うまでは意識的に自分に不要な情報はミュートして遠ざけ、必要な情報を取捨選択する行動が大事であると思います。謙虚な構えでの「自分中心思考」を持てれば卑屈になることはありません。

「認識改造」で乗り切った年末年始

猫に鰹節

本書によると町田氏が断酒を決行したのが年末。そう、クリスマス、忘年会からのお正月、新年会などお酒イベントがオンパレードの禁酒、断酒をする上で最も厳しい鬼門の時期

当然お酒を止めたばかりの町田氏は所謂「緊張機(断酒開始初日〜14日)」の真っ只中。酒飲みの方なら御存知の通り、我々はとにかく普段から無理くり理由付けをして飲酒します。(してました)

「疲れたから飲もう」「快調だから飲もう」「嫌なことがあったから飲もう」「嬉しいことがあったから飲もう」まさに飲酒動機の「領域展開」

そんな酒飲みにとって年末年始の禁酒、断酒など、それこそ「猫に鰹節」です。では町田氏はどうやって「緊張機」と年末年始の重なるウルトラハードモードを乗り切ったのか。それが前述した「認識改造」による自己認識です。

正月だから飲酒しなければならないなど、本来理由になっておらず、そういう飲酒への動機づけが、自身の幸福感を要求する「こうあるべき」という自意識です。「幸福でなければならない」という幸福感への要求を取り除けば、しらふでいる「普通の事」に不満を持つ事が無意味になり飲酒の動機はいらなくなります。自分自身の意識と正面から対峙して「飲む理由」など実はなく、「飲みたい自意識」があるだけだと自覚することが大事ではないでしょうか。

そんな町田氏も自身の禁酒を周囲にカミングアウトするのかを逡巡していたらしく、やはり始めて3ヶ月間は黙っていたとのこと。

理由は簡単で、宣言すれば自身のプレッシャーになり、禁酒継続の気持ちが強くなるメリットがある反面、スリップ(再飲酒のこと)してしまった場合、真面目な人間ほど有言不実行の挫折感に打ちのめされる危険があるから。この感情は元のアルコール依存症に戻る可能性が大いにあります。

3ヶ月経過したときも、「禁酒した」とは言わずに「お酒を飲まないで過ごしている」と述べる程度に留めたとのこと。禁酒、断酒自体は1年経過してカミングアウトしたそうです。

このへんは人によって意見が分かれると思いますが、私も飲酒欲求がほとんど無くなる半年以降くらいにアナウンスしたほうがいいと思います。いちいち言う必要自体ないかもしれませんが、宣言することで、飲み会などが断りやすくなり、角も立たないので期を見計らって告知しておいたほうがいいかもしれません。

断酒期間を重ねることで高まる「セルフエスティーム」

元飲酒者なら誰でも、3ヶ月間お酒を飲まない期間を乗り切ると、強い達成感を感じられるようになります。

それと並行して、お酒が脳裏をよぎる時間が徐々に無くなっていき飲酒欲求が加速度的にしぼんでいきます。町田氏自身にも精神面、肉体面ともに良い傾向が現れてきます。

しかしそうなってくると、町田氏にも例のアレがやってきます。そう、「こんなに我慢できたんだから、少しくらい飲んでも私は(私だけは)もう大丈夫!!」っていう断酒者お馴染みの陥穽です。それで奈落に堕ちた「元」断酒者は数しれず。ご多分に漏れず私も経験済みです。

町田氏もこの3ヶ月が経過した所謂壁期(断酒開始3ヶ月〜半年)」に入った頃にそういう思考回路になり、更に間の悪い(?)ことにそのタイミングで仕事で気仙沼へ旅行に行きます。

酒飲み(っていうかアルコール依存症者)にとってはまさに絶体絶命の窮地ですが、同伴していた仲間が下戸(お酒飲めない人)だったため事なきを得ます。幸運にも恵まれ、旅先で一滴もお酒を飲まなかった結果が町田氏にさらなる自信と断酒継続の達成感をもたらし、断酒期間は更に伸びていきます。

みなさんも旅行や、結婚式などの慶事は飲酒の危険が高まりますが、「礼を言う、俺はまだまだ強くなれる」とゾロ的な自己暗示をかければ、乗り越えられたとき禁酒、断酒で得られるメリットの享受が飛躍的に増加するはず。ピンチはチャンスと心得ましょう。

禁酒、断酒したところで幸福になるわけではない、しかし‥

禁酒、断酒と幸福

本書で述べられていますし、私自身半年お酒を断っても別段幸福感を感じることははっきり言ってありません。つまりは「普通」なのです。

しかし禁酒、断酒においてこの「普通」こそが、何よりも得難いものであったと自覚しています。「普通」であることを「退屈」だとか、いわんや「不幸」などと勝手に定義づけてお酒を煽り、酩酊ばかりしていた日々が今までどれだけのものを犠牲にしてきたのかが、如実にわかってきます。

「普通」の状態を忌避し、飲酒によって手早い「幸福感」を求める生活は多くの禍根を残し「不幸感」をより強化するのは言わずもがな。私は「普通」は幸も不幸もありのままに受け入れられる素晴らしい状態だと思うのです。

町田氏も断酒期間が重なるに連れ、お酒だけでなく食べ物に対する執着も薄くなり、体重が8キロも落ちたそう。睡眠の質も向上したうえ、さらに頭のキレが戻って生産性が上がり感情も穏やかになったとのこと。

禁酒、断酒は脳内をスッキリと整理整頓する効能があると町田氏は語っており、私自身禁酒、断酒期間はまだ半年ですがある程度実感しています。

町田氏自身は断酒による、「脳力」の向上は2年ほど経ってからはっきりと掴めたそうです。このへんは人それぞれアルコールにどれだけ侵されていたかの深度や個人の年齢にもよりますが、若い方は回復がもっと早いと思います。読めば読むほどにお酒がいかに脳に悪影響を与えているのが伝わって来る話です。

禁酒、断酒の継続は脳内環境のインフラ整備に莫大な効果があると書かれていますが、私自身読んでいて大きくうなずく次第です。

禁酒、断酒による効果の過度な期待は禁物です。大抵「こんなものか‥」程度です。少なくとも半年くらいまでは。(この辺も個人差があると思いますが)

しかし少なくともお酒と決別することで、人工的な「幸福感」を渇望し、その乾きが癒せない時間を「不幸」と捉えてしまう、不幸ベースの人生観が少し改まったような気がします

元酒飲みには様々な「アルアル」が詰まったこの本は、禁酒、断酒はじめに読むのもいいですが、ある程度時間が経過した頃に読み返すと禁酒、断酒開始当初には感じなかった感性が刺激され、2度楽しめる面白い本だと思いました。

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